掌編小説

お返しだよ

初めて子どもに手を上げてしまった。小学5年生の次男の貴志に。夜ごはんの前のことだ。最初はよくある些細な言い争いだったはずが、とうとう終いには「ごはんなんか食べなくていい!」と怒鳴り飛ばした。気がついたときには貴志の頬を平手で叩いていた。 そ…

墓で遊ぶ

子どものころ友だちが来るとよく家の前の墓地で遊んだ。こんもりとした小山にできた小さな墓地だ。遊んだといっても墓にいたずらしたり供え物を盗むわけではない。区画整理されていない墓地は迷路のようで、子どもにとって格好の遊び場だった。 鬼ごっこ(墓…

ガレージの八百屋

五月。新緑の季節だ。暑くもなく寒くもない爽やかな陽気に誘われ、妻と二人久々の散歩に出た。といっても目的は決まっていた。家から歩けば少し歩きでがある温泉施設のチケットを2枚、知り合いから譲ってもらったので、有効期限内に使ってしまおうと思ったの…

短髪の臨床検査技師

見るからに大男だった。頭を短く刈り上げた、まるで室伏広治かアーノルド・シュワルツェネッガーのごとき臨床検査技師が僕に「お名前をフルネームでお願いします」と言って「金井告です」と僕が答えると「アルコール綿に被れたことはありますか?」と男が訊…

本の神様

読みさしの本をポンとソファの上に放り投げ冷たいビールでも取ってこようかとキッチンへ行きかけたところで、「いたい」という奇妙な声がした。 「え、いまなんか言った?」と芙由子に訊くと、「いたいよ」と芙由子はさっきのと同じ声色を出し、「――って、本…

オクラホマミキサー

午前の40分の短縮授業が終わって弁当を食べて掃除を済ませたら部活動も委員会活動も中止して全員一斉帰宅する、と担任の阿波が木で鼻をくくったように言うと教室中が一斉にどよめいた。 30年に一度というボジョレー・ヌーボー並の超大型台風が今夜にもこのあ…

基盤交換

テレビが故障した。テレビを買った電気屋に電話して事情を話せば、翌朝メーカーから直接電話があり、「サービスマンが本日の午前11時前後にうかがいます」と人間の声が音声ガイダンスのようにそう告げた。 「修理とかになるんでしょうか?」と恐る恐る訊ねる…

10025歳の私

幽体離脱はなにも特別なことではない。誰でも、かどうかは知らないけれど私は意識して練習したら自然とできるようになった。はじめのころは離脱した魂がすごい力で体に引き戻されそうになったり、時間もせいぜい1~2分のごく短い間と、なにかと制限があった…

感情教育

僕の頭の中のしかるべき場所にあるデスクトップには幾つかのフォルダがわりと気ままに並んでいて、そのひとつひとつにもたくさんのフォルダがそこでは整然と並んで収まっていて、更にその下の階層にあるフォルダまで含め全部誰かに対する感情の保存場所にな…

美里子さんと僕(2)

(読んでも読まなくても別に困らないと思いますが) http://kanaitsugeru.hatenablog.com/entry/2015/05/04/092006 美里子さんという名前は本名ではない。本名は美里と書いて「みさと」と読む。だけど美里子さんのお母さん、つまり僕のお義母さんが、いつも…

美里子さんと僕(1)

とてもバカみたいな話。夫婦ゲンカして美里子さんが部屋に篭ったきり出てこない。僕はそうされるのが嫌なので、むしろ自分から家を飛び出した。だけど美里子さんが部屋に篭るのと僕が外に出るのは、冷静に考えればふたりとも同じような行動原理っぽくて可笑…

夢の睡眠学習法

かつて睡眠学習法という画期的な勉強方法があった。 なにが画期的かといえば、読んで字の如し、眠っている間に頭がよくなるのだ。はじめて雑誌でこの学習法の広告を発見したとき、こんな楽な勉強方法があるのか! と僕は小躍りした。発明した人はきっとこの…

さくら水産

高い天井の明り取り窓からあふれんばかりの陽光が降り注ぎ、プールの水面がキラキラと乱反射していた。プールサイドからテラスへと出るスライド式の透明ドアの向こうに、低木のハナミズキが薄いピンク色の花を咲かせている。 歳をとって私は健康に人一倍気を…

すれちがい-たい恋人

僕にも彼女にもそれぞれ付き合っている恋人がいた。 彼女の恋人は大学の同じ研究室の先輩で、同性の僕から見てもルックスはそうとういい方だと思う。性格も明るそうだしやさしそうだし、着ている服やバックなんかの持ち物のセンスも、まあその辺は僕には正直…

水の底に沈んだ村と二月

水のペットボトルを作りたいんだ。世界でまだどこにもない、と言い出したのは僕だ。「水なんてわざわざ買う人がいると本気で思う? 蛇口をひねればいくらだって出てくるのに」と彼女は笑ってまともに相手をしてくれなかった。 それはそうかもしれないけれど…

口紅

彼女は右足を少しだけ引き摺って歩く。それは決して癖ではなく、彼女が5歳のころ、彼女のお父さんのお父さん、つまり彼女のお祖父さんの自転車の後ろに乗せられていたとき後輪に足を挟まれた、そのときの後遺症なのだと彼女は僕に打ち明けてくれた。 彼女の…

退屈な夜のすごし方教えます

ひとり暮らしで退屈な夜にアパートの部屋にいると、いろいろな人がやってきて退屈を紛らわせてくれた。 新聞勧誘員の人がやってきて新聞を取ってくれと言ってくる。僕がいま別の新聞を取ってるからと断ると、そこをなんとかと言う。なんとかってなんだよと僕…

りありすむ(透明人間の不自由な日常)

ある朝自分の部屋で目覚めると巨大な虫になっていた男の話を書いた作家がいたが、僕の場合は虫ではなく透明人間になっていた。 透明人間だから他人から僕の姿が見えないばかりか、自分で自分の姿も見えない。これは自分が透明人間になってみるまで気づかなか…

こぶ

いつからなのか正確にはわからないが、僕のスマホの液晶画面に小さなこぶができた。こぶはふつうに見た目ではわからない。スマホを傾けていろいろな方向と角度から覗いてみても、どこにもふくらみは見当たらない。 はじめてこぶらしきものの存在に気づいたの…