オクラホマミキサー

午前の40分の短縮授業が終わって弁当を食べて掃除を済ませたら部活動も委員会活動も中止して全員一斉帰宅する、と担任の阿波が木で鼻をくくったように言うと教室中が一斉にどよめいた。 

30年に一度というボジョレー・ヌーボー並の超大型台風が今夜にもこのあたりに最接近するらしい。 

「やたー」「バンザーイ」とみんなが口々に快哉を叫んだ。「先生、なんで午前中で帰るのにわざわざ学校でお弁当食べるんですか?」と学級委員長の牧田さんがそれが当然自分の役目だとばかりに、そして誰もが疑問に思うような質問をした。そうだそうだと一部の男子が便乗して囃したてた。 

せっかく学校で食べるために作ってもらった弁当なんだから学校で食べて帰らないとせっかく作ってくれた人に悪いじゃないか。と阿波は不合理なことを言ったが、言ってる本人もそんなことは十分承知の上で言ってるのだ。職員会議ではときどきこういうよくわからない理屈がまかり通る。 

教室の外は30年に一度という超大型台風が近づいている気配すら感じない。台風特有の生暖かい空気もなければ窓を打ちつける雨もない。中庭のケヤキの木は微動だにしないしセンターポールの校旗もだらりと垂れ下がったままだ。初代学校長の銅像の頭もつやつやしていた。日本語を勉強し始めた人に「嵐の前の静けさ」という言葉を説明するのにこれほどうってつけの天気もない。 

4時間目の授業が終わった瞬間、サッカー部の岡野が突然立ち上がって全員の方を向いた。
「なあ、今日はせっかく30年の一度の超大型台風が来るんだからその記念にみんなの弁当を交換し合って食べないか?」
すかさず同じサッカー部の山本が立ち上がって「いいね」と言った。フェイスブックかよと自称不良の神林が茶化した。山本は岡野のいうことならだいたいなんでも賛成する。ああいうの腰巾着って言うんだよ、と僕の前の席の合唱部の掛川さんが振り返って小声で教えてくれた。 

掛川さんは目立つタイプの女子というわけではないけれど、なんというのかな、マーガレットみたいな人だ。と僕はひそかに思っている。 

一部の女子は、たとえば菊西さんのグループあたりは、「えーっ」とか「そんなこと勝手に決められても困るー」と悲鳴に近い声を出したが、それも大勢には抗えず、結局岡野の提案は3年C組ほぼ全員によって承認された。なんだかみんな高揚していた。 

ただし弁当の大きさと中身の量も違うだろうからと、男子は男子、女子は女子同士で交換し合うということになった。男子と女子別々の二つの大きな円を描いて机を並べ、教室の幅いっぱいに広がった少し窮屈で歪な円が二つできた。 

言いだしっぺの岡野がまた立ち上がって叫んだ。
「いいかなあ、これからみんなでオクラホマミキサーを歌いながら隣のやつに順番に弁当を回していく。そして俺がハイと言ったときに自分の手元にあった弁当をきょうは食べる。そういうルールでいい?」
全員が大爆笑しながら「ハーイ」と手を挙げた。 

掛川、お前合唱部だったよな。お前が先に歌い始めてくれ」と岡野は突然掛川さんを指名した。
「えー、わたしオクラホマミキサーの歌詞なんて知らないよー」
「いいんだ、メロディーだけで。フォークダンスのとき思わず口ずさんでしまう要領で、たんたたたたたたーって、あんな感じでいいからさ」
「わかった。みんなもすぐ一緒に歌ってよね」
掛川さんまで今日はどうしちゃったんだろう。 

「じゃあいくわよ」と掛川さんがすぐに歌いはじめ、みんなも掛川さんの後に続いた。男子はなかばやけくそに、女子もけっこうノリノリで歌った。 

♪たんたたたたたたーたたたたたたたーたたたんたんたたたたたんたーたー 

発案者の岡野も。腰巾着の山本も。学級委員長の牧田さんも。神林も。菊西さんも。そして僕も。僕まで今日はどうしちゃたんだろう。 

隣のクラスから歌声を聴きつけ生徒たちがガヤガヤと廊下に集まってきてあっという間にギャラリーができた。教室の中ではオクラホマミキサーのリズムに合わせて全員の弁当がくるくるくるくるくるくるくるくる回った。僕たち3年C組の歌声は鳴りやまない。30年に一度という超大型台風よりも何倍も凄まじい100年に一度の威力だ。 

ようやく岡野が「ハイ!」と大声でストップをかけた。歌声はピタリと止んだ。今度は教室中が歓声と拍手と口笛と興奮に包まれた。色とりどりの紙吹雪が舞い散るようだった。みんなそれぞれ自分の手元で留まった誰かの弁当の包みを愛おしそうに両手で握りしめた。 

包みに名前があるものは「鈴木さんのだー」とか「俺のは古沢のだー」と口々にその本来の持ち主の名前が読み上げられた。誰かの手元の弁当を指さしながら「オレのオレのオレの」と名乗りあったり、自分の弁当の今日一日だけの新しい持ち主を尋ねまわったり。 

岡野が再び合図した。「さっそく食べよう―ぜ」
全員が一斉に弁当箱の包みをほどき蓋を開ける。緊張の一瞬。教室は神々しいまでに厳粛な雰囲気を漂わせた。が、それも長くは続かない。すぐにまたさっきまでの喧騒が戻ってきた。 

めいめいが箸をつけ始めたころを見計らって岡野がまた言った。
「な、たまにこうやって誰かと交換して弁当食べると新鮮でいいだろう。同じようなおかずでも違って見えるし、ごはんとおかずのバランスも詰め方だって違うし、ゆうべの残り物でもうんざりしない」
腰巾着の山本がそうだそうだとくり返した。 

腰巾着の山本の腰巾着をするつもりはないが、岡野の言うことはとても理に適っていると僕は思った。さすがに毎日同じ人が朝の忙しない時間で作る弁当では、おのずからバリエーションに限りがある。つまり、飽きる。 

「うちと同じ冷凍食品のおかずだってすぐわかっちゃって面白ーい。なんか親近感湧くー」と女子の中でお調子者の町村さんまで鋭い発言をしてみんなを笑わせた。僕の場所から偶然見えた桜田さんが少し恥ずかしそうに俯いた。 

「いやオレは同じ冷凍食品のおかずでも人の弁当だと思うと何割増しか美味しく感じられるな」とロックバンドを組んでるという斉藤がロックなことを言って単純な男子が「ロックだねえ」と反応した。 

ふだん女子はいくつかの小さなグループになって、男子はそれぞれ自分の机で黙々と食べているだけの弁当が、今日はみんなやけに賑やかで口数多くなっていた。さっきエスペラント語研究会のウッチーがきみの弁当が回って来たよとこっそり教えに来てくれた。「すごく美味しかった」って。 

うちの母さんが毎朝作ってくれる弁当の今日のおかずを僕は知らないままだ。いまさら「弁当どうだった?」なんて小学生の遠足の夜みたいなことは訊かれないけれど、それでもなんだかほんのちょっぴり母さんに後ろめたいような、逆に背徳感のようなものもある。 

いつものように「ごちそうさん」と言って空の弁当箱を差し出せば、母さんは「お粗末さまでした」と受け取ってそれでおしまいだろう。まさか中身を別のクラスメイトが食べたなんて気づきもしないだろう。僕だって野球部の榊くんのお母さんが作ってくれた大盛り焼肉弁当を食べたんだし。さすがにお腹いっぱいだよ。でもすごく美味しかった。 

それにしても台風、本当にやってくるのかな。とっくに弁当食べ終わったというのに向こうの校舎の上はまだところどころ青空が覗いている。グラウンドを撫でる風ひとつなく、世界はまるで飼い主を待っている驢馬のようにおとなしいままだ。ひょっとして半休を決めた先生たちはいまごろ早まったと臍をかんでいるかもしれない。 

榊くんの大盛り焼肉弁当のおかげかどうか知らないが、今日なら僕は掛川さんに告白できそうな気がしてきた。放課後、掃除が終わってみんなが帰ったあと、掛川さんにだけは教室に居残ってもらって勇気を出して告白しよう。
「好きです。もしよかったら僕とつきあってください」 

「ごめんなさい。わたし他に好きな人がいるの」と断わられるかもしれない。それでももし、もしうまくいったら、掛川さんを僕の自転車の後ろに乗せて駅までの道のりをゆっくり送って行きたい。僕はまだ30年も生きてないけど、掛川さんと話したいことなら30年分以上ある。どうかそれまで30年に一度の台風が待っててくれますように。