墓で遊ぶ

子どものころ友だちが来るとよく家の前の墓地で遊んだ。こんもりとした小山にできた小さな墓地だ。遊んだといっても墓にいたずらしたり供え物を盗むわけではない。区画整理されていない墓地は迷路のようで、子どもにとって格好の遊び場だった。 

鬼ごっこ(墓地だけに!)、お化けごっこ(墓地だけに!)、死んだ年月当てごっこ(墓地だけに!)。死んだ年月当てごっことは、墓の表側だけ見てその人が何年の何月に死んだかクイズのように出題し、あとから横や裏に廻ってそれを確かめるという単純な遊びだ。

墓のうらに廻る(尾崎放哉)

僕がいちばん好きだった遊びは、名前読みクイズだった。墓石に刻まれた田中家とか松田家とか、漢字を多少習った子どもなら誰でも読めるような名前の墓ではなく、たとえば、刑部家や戸次家などのように、知っている漢字だけれど読み方が難しい名前の墓を、僕が選んでクイズに出した。 

これは、初めてうちにきた友だち相手にはいちばん楽しい遊びだった。たいていの子は、「けいぶ家の墓」とか「とつぎ家の墓」というふうにふつうに読んでしまう。すぐさま僕は歯が生え始める前の赤ちゃんのような唇をして「ブー」と無情に不正解を告げる。正解は「おさかべ家」「べっき家」でーす! 

もちろん僕は誰か大人に、たぶん父親だろうけれど、教えてもらったのだし、まして新しい友だちが来るたび同じクイズを出しているわけだから当然答えを知っている。それでも友だちより少しでも上に立っているという優越感は、そんな些細なことでも代えがたいよろこびだったのだろう。 

いずれも、実に他愛ない子どものする遊びである。 

後年、結婚して初めて妻を故郷の実家へと連れ帰った。「子どものころ、ここでよく遊んだんだ」と小山の墓地を前に僕は彼女に言った。コンピュータゲームもなかった。テレビアニメだって限られるほどしかなかった時代。 

久しぶりに墓の名前読みクイズをやってみたら彼女は答えられず、「ブー」と勝ち誇ったように震わした僕の唇に、墓の裏側の扉がふわと開いた気配が一瞬だけ辺りに漂った。 

妻は小山のいちばん上に立って、「きれいだわね」と言った。もちろん墓地の景観が美しいという意味ではなく、ここには汚れた魂がないという意味でだ。